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1980年代の資料


※※ 注意 ※※

1980年代は、アニメの女の子が好きな人の事をロリコンと称する場合がありました。

当時はポジティプなイメージだったので、ロリコンを自称する若者もいました。

しかし、1989年の連続幼女誘拐殺人事件以降は、ネガティブなイメージで使われるようになりました。

その辺の事情をご理解の上、このページをご覧下さい。


1980年


1980年8月:ふぁんろ〜ど 創刊号

 (1980年8月:ラポート:ふぁんろ〜ど創刊号:表紙)

 

アニメックの姉妹紙として、読者の投稿を中心としたアニメ情報誌が創刊しました。

OUTの元編集者Kさんが立ち上げた雑誌です。

表紙の女の子は、初期のマスコットキャラクター「ふぁろちゃん」です。

この創刊号の特集は、「トミノコ族」の紹介です。

コミケという閉鎖された空間で、一部のマニアにしか知られていなかったコスプレイヤーが、

タケノコ族でにぎわう原宿・公園道りの歩行者天国に登場します。

 (同誌:P03)

 

 (同誌:P05:一部)

 

この頃にはまだ、彼らを識別するための言葉が無く、この記事ではタケノコ族に掛けて

「トミノコ族」と呼んでいます。


1980年11月:ふぁんろ〜ど 2号

 (1980年11月:ラポート:ふぁんろ〜ど2号:表紙)

 

 (表紙:一部)

 

やっぱ宇宙世紀になると、老人福祉もモビルスーツが活躍するぜ。


1980年12月:OUT 12月号

 (1980年12月:みのり書房:OUT12月号:表紙)

 

アニメ雑誌の中で、初めて「ロリコン」についてのコラムが掲載されました。

米沢嘉博による「病気の人のためのマンガ考現学」という記事です。

 (同誌:P96)

 

このコラムでは、ロリコン向けマンガについて紹介しています。

また、商業誌の中で初めて「シベール」という同人誌名が登場しました。


1981年


1981年3月:OUT 3月号

 (1981年3月:みのり書房:OUT3月号:表紙)

 

それまでも、パロディという分野がありましたが、ガンダムブーム以降に、アニメ雑誌や

同人誌界でアニパロが爆発的に流行りだしました。

 (同誌:P21)

 

特にOUTは乱立するアニメ雑誌から、差別化を図るためアニパロに力を入れます。


1981年3月:ふぁんろ〜ど新春第4号

 (1981年3月:ラポート:ふぁんろ〜ど新春第4号:表紙)

 

コミケ16のレポート記事に、サークル「サーカス・マッドカプセル」が写っていました。

1980年12月創刊の「人形姫」は破李拳竜氏や千之ナイフ(山本おかず)氏らによって作られた、

ピグマリオン・コンプレックス(人形愛)専門の同人誌でした。

 (同誌:P43)

 

ブースにはバービーらしき人形が飾られています。


1981年4月:アニメック 17号

 (1981年4月:ラポート:アニメック17号:表紙)

 

アニメの美少女キャラ紹介がメインの特集「"ろ"はロリータの"ろ"」が掲載されいます。

この特集により、アニメの女の子が好き=ロリコンというイメージが益々強くなりました。

 (同誌:P27)

 

また、同人誌「クラリスマガジン」、「シベール」が紹介されました。

 (同誌:P44)

 


1981年5月:吾妻ひでお大全集

 (1981年5月:奇想天外社:吾妻ひでお大全集:表紙)

 

美少女漫画の「祖」といわれる吾妻ひでお先生の特集号です。

なお、吾妻先生のアシスタントをしていた方としては、沖由佳雄氏、森野うさぎ氏、豊島U作(I.N.U.)氏、

計奈恵(和猫)氏などがいて、彼らを中心として同人誌「シベール」が出版されました。

彼らは後に、「コミック・レモンピープル」や「漫画ブリッコ」で活躍するようになります。


1981年8月:第20回SF大会DAICON III開催

1981年8月に大阪で行われたSF大会(SFファンの集い)が「DAICON III」です。

岡田斗司夫氏、武田康廣氏らが主催となって行われました。

また、企画のひとつとして、SF大会で上映するオープニングアニメを制作する事になり、

大阪芸術大学の庵野秀明氏、山賀博之氏、赤井孝美氏らに要請して出来た作品が、

「DAICON IIIオープニングアニメ」です。

 (1981年8月:DAICON III オープニングアニメ)

 

パワードスーツを持ち上げてぶん投げる!

下図はDAICON IIIオープニングアニメの設定資料集です。

 (1982年?月:ゼネラルプロダクツ:DAICON IIIオープニングアニメ設定資料集:表紙)

 

庵野秀明氏の描いたパワードスーツや、赤井孝美氏の描いた女の子が載っています。

 (同誌:一部)

 

もし自分達の手でアニメを作る事になったら、パンチラシーンは外せないよね?


1981年10月:ふゅーじょんぷろだくと 10月号

 (1981年10月:ラポート:ふゅーじょんぷろだくと:表紙)

 

 (同誌:もくじ:一部)

 

この号は、当時の漫画、アニメ、写真集の美少女の特集をしています。

よくこれだけロリコン・ネタがあったなあと感心します。

ブルボン・ホワイトロリータのコラムまであるのが笑える。

下の写真は横浜産貿会館で行われたコミケ18で、吾妻先生の同人誌

「ミャアちゃん官能写真集」が販売されている様子です。

 (同誌:P13:一部)

 

ブースには売り子として沖由佳雄氏、計奈恵氏がいました。

さらにこの本には原丸太氏が書いた、ロリコン同人誌の解説が収録されています。

 (同誌:P92)

 


1981年11月:マンガ奇想天外 8号

 (1981年11月:奇想天外社:マンガ奇想天外8号:表紙)

 

この号には「DAICON III」のレポート記事が掲載されています。

 (同誌:P2)

 

DAICON III内で握手をする吾妻先生といしかわ先生です。

 (同誌:P2-3)

 

DAICON III内の「SFまんがを語る部屋」の風景です。

左より手塚治虫、村上知彦、高信太郎、吾妻ひでお、いしかわじゅん(敬称略)です。

 (同誌:P6)

 

合宿所で、深夜に手塚治虫先生が吾妻さんに是非会いたいと、部屋を訪ねて来られたそうです。

緊張した表情の吾妻先生です。


1981年11月:ジ・アニメ 11月号

 (1981年11月:近代映画社:ジ・アニメ11月号:表紙)

 

 (表紙:一部)

 

アニメの美少女キャラ紹介がメインの特集です。

 (同誌:P66)

 


1982年


1982年1月:週刊少年チャンピオン 1・2合併号

 (1982年1月:秋田書店:週刊少年チャンピオン1・2合併号:表紙)

 

 (表紙:一部)

 

ちょwwwおまwwwこのレイアウトwww神に対する冒涜www!

 (同誌:もくじ)

 


1982年3月:アップル・パイ

 (1982年3月:徳間書店:アニメージュ増刊アップル・パイ:表紙)

 

大塚英志氏が徳間書店で初めて企画した本です。

この本に掲載されている漫画のいくつかは、後の「プチ・アップルパイ」にも再録されています。

また、志水一夫氏の「ロリコン同人誌レビュー」には、当時のコミケの動向が詳しく解説されています。

 (同誌:P116)

 

 (同誌:もくじ)

 


1982年3月:OUT 3月号

 (1982年3月:みのり書房:OUT3月号:表紙)

 

対談記事「吾妻ひでおvs米沢嘉博」が掲載されています。

 (同誌:P56)

 


1982年4月:アニメージュ 4月号

 (1982年4月:徳間書店:アニメージュ4月号:表紙)

 

 (表紙:一部)

 

決まってしまいましたか・・・orz

パッケージイラストは吾妻先生が描いています。

 (同付録:パッケージ表)

 

 (同付録:一部)

 

 (同誌:P55)

 

また、同誌には「女王陛下のプティアンジェ」の小特集が組まれています。

 (同誌:P62:一部)

 


1982年4月:アニメック 23号

 (1982年4月:ラポート:アニメック23号:表紙)

 

 (同誌:P3)

 

DAICON IIIオープニングアニメを見たいという読者からの要望で、ビデオが販売されました。

このビデオにはオマケとしてDAICON IIIの女の子が次々とコスプレをするアニメが

収録されていて、それを見た編集者はかなり衝撃を受けた様子です。

 (同誌:P89-91)

 


1982年5月:アニメージュ 5月号

 (1982年5月:徳間書店:アニメージュ5月号:表紙)

 

 (同誌:P83)

 

この号には「アニメファンのビョーキスタイル研究」という記事が掲載されています。

米沢嘉博氏や、内山亜紀氏へのインタビューが中心です。

 (同誌:P125)

 


1982年5月:ロリコン大全集

 (1982年5月:都市と生活社:ロリコン大全集:表紙)

 

蛭児神建が編集したムック本です。

下の画像は「リュウ」に掲載されていた「ロリコン大全集」の広告です。

 (1982年7月:徳間書店:リュウVol.18:広告)

 


1982年6月:アニメージュ 6月号

 (1982年6月:徳間書店:アニメージュ6月号:表紙)

 

この号には第4回アニメ・グランプリの結果が掲載されています。

アニメ・グランプリは徳間書店が年1回開催していたアニメ作品の表彰イベントです。

キャラ部門の4位にクラリスが選ばれた件で、宮崎監督のコメントが掲載されています。

 (同誌:P29:一部)

 

クラリスによってロリコンブームが始まってしまったため、その火消しをするような

内容の発言となっています。


1982年6月:OUT 6月号

 (1982年6月:みのり書房:OUT6月号:表紙)

 

 (同誌:裏表紙:一部)

 

「超銀河伝説バイソン」が放送予定のようですが、まだ放送になっていないようです。


1982年9月:コミック・レモンピープル 9月号

 (1982年9月:あまとりあ社:コミック・レモンピープル9月号:表紙)

 

1982年1月に、あまとりあ社からコミック・レモンピープルが創刊されました。

同人誌「シベール」や「人形姫」のメンバーを中心とした、初の美少女コミックです。

創刊号から10号までは中綴じで、表紙は女の子の写真が使われていました。

人気が出たのは平綴じになって、表紙が阿乱霊氏のイラストになってからです。

以後、このスタイルをまねた亜流誌が沢山登場します。

当時は18禁や成年コミックの表記が無かったため、未成年者でも買う事が出来ました。

以下に9月号の一部を紹介します。

 (同誌:P135:一部)

 

蛭児神建の相談コーナー。

 (同誌:P136:一部)

 

エロ雑誌に「エロは必要が無い」というお便りがきたため、論争になっています。

現在では非エロ系の美少女漫画雑誌が出版されていますが、当時はL・Pが唯一のロリコン誌だったので、

異なる嗜好のロリコンが集まり衝突を起こしてしまったようです。

 (同誌:P137:一部)

 

読者の投稿イラストのコーナー。

 (同誌:もくじ)

 

注:131同人誌ピックアップ 内山亜紀→阿島俊の間違い

注:132美少女inアニメランド 阿島俊→スタジオメイフラワーの間違い

劇画系の作家はリニューアル時に排除される事になります。

 (同誌:次号予告)

 


1982年10月:OUT 10月号

 (1982年10月:みのり書房:OUT10月号:表紙)

 

 (同誌:P19)

 

爆発シーンなどの変な形のオバケが手軽に描けるテンプレート。

 (同誌:P38)

 

日射病の応急手当方法。


1982年10月:「超時空要塞マクロス」放映開始

 

主人公の輝は、ミンメイと初めて出会った時、彼女のことを「おたくは〜」と呼びます。

これは初対面で、名前や年齢がわからない女性に対しての、気を使った呼び方だと思います。

しかし、「おたく」を連発する輝に奇妙なおかしさを感じたファンは、おもしろがって

「おたく」というセリフをまねるようになります。

これがコミケで目撃され、差別用語としての「おたく」になったという説もあります。

 

マクロス艦内のおもちゃ屋「ゼネラル・プロダクツ」からミンメイ人形を奪った、

スパイのワレラ、ロリー、コンダの3人。

それから庵野秀明氏が一部の作画を担当したというのも有名な話です。


1982年11月:ふぁんろ〜ど 11月号

 (1982年11月:ラポート:ふぁんろ〜ど11月号:表紙)

 

下図はコミケット21のコスプレ写真です。

 (同誌:P12:一部)

 

この頃はミンキーモモが全盛期でした。

 (同誌:P13:一部)

 

破李拳竜氏も写ってました。


1982年12月:宮崎駿・大塚康生の世界

 (1982年12月:オフィスアクション:宮崎駿・大塚康生の世界:表紙)

 

内容は「カリオストロの城」、「太陽の王子ホルスの大冒険」、「パンダ・コパンダ」の

設定・コンテが収録されています。

また、「妹へ」というオリジナル作品のイメージボードが掲載されています。

 (同誌:P11〜16:一部)

 

 

 

ストーリーは足の不自由な妹のために、兄が飛行機を自作(!?)して

妹と一緒に世界を旅するというものです。 ええ話や 。・゚・(ノД`)・゚・。


1982年?月:SFショップ「ゼネプロ」開店

1982年に岡田斗司夫氏、武田康廣氏らが日本初のSFショップ「ゼネラル・プロダクツ」(略してゼネプロ)を

大阪市生野区桃谷に開きました。

 (ゼネプロ:カタログ:表紙)

 

吾妻ひでお先生の特約グッズや、庵野秀明氏、赤井孝美氏のイラスト入りグッズが販売されました。

 (ゼネプロ:カタログ:P3)

 

 (ゼネプロ:カタログ:P5)

 

下図は「DAICON IIIの女の子」のメタルフィギアです。

ゼネプロではこの他に「新井素子」のメタルフィギアなんかも販売していました。

 

金属製のため細部の加工や塗装が難しく、未だに組み立てる事ができません・・・orz


1983年


1983年3月:SKY ANGELS Vol.3

 (1983年3月:マクロス・アタック・チーム:SKY ANGELS Vol.3:表紙)

 

マクロスのファンサークル「M.A.T」(マクロス・アタック・チーム)が出版した同人誌です。

「航空ジャーナル」の体裁をまねています。ちなみにこの機体のカラーリングは、

マクロスの進宙式にアクロバット演技を見せたエンジェルバーズのものです。

 (同誌:P40)

 

TV放映中の出版のという、資料が乏しい時期だったにもかかわらず、細かくメカの考証をしています。

 (1983年8月:マクロス・アタック・チーム:SKY ANGELS Vol.4:P35)

 


1983年5月:「漫画ブリッコ」刷新

セルフ出版の「漫画ブリッコ」が美少女コミックとして刷新されました。

大塚英志氏が編集長になりましたが、後述の「おたくの精神史」を読むと、大塚氏は

美少女コミックではなく、ニューウェーブ誌が作りたかったようです。

中森明夫氏の「おたく」に関するコラムが掲載された時、中森氏は読者から抗議や非難を受けますが、

よく考えると、大塚氏も中森氏のコラムに疑問を持たなかったからこそ掲載したのではないでしょうか?

つまり、美少女コミックを求めている読者層ついて、大塚氏も理解が足らなかったと思われます。

なお「漫画ブリッコ」に関する情報は「漫画ブリッコの世界」のホームページをご覧ください。


1983年6月:アニメック 30号

 (1983年6月:ラポート:アニメック30号:表紙)

 

1983年3月に「アニメック」と「ふぁんろ〜ど」が合同でコンテストを行いました。

読者が制作したアニメ、セル画、イラストなどが審査の対象でした。

 (同誌:綴じ込みポスター)

●佳作「ガラス割り少年」

 

このアニメは筑紫高校の漫映研によるペーパーアニメです。

アニメックではこの作品の画像しか掲載されていませんが、この作品以外にも

「惑星ラスク」という特撮作品も佳作を受賞しています。

 

「惑星ラスク」は当時、NHKの「YOU」という糸井重里が司会の若者向けトーク番組でも

放映された事があります。

なお、この時期の漫映研には森田宏幸さんが在籍していました。

彼は後にジブリに入社し、「猫の恩返し」の監督を担当するまでになりました。

●努力賞「ラミちゃんききいっぱつ」

 

自主制作アニメのサークル「スタジオRAMI」によるセルアニメです。

●努力賞「夕顔」

大阪のマイコンサークル「NEWON」(ニューオン)によるセルアニメ(一部CG)です。

吾妻先生のマンガ「夕顔」(少女アリス掲載)をアニメ化したものです。

 

(画像提供:匿名希望様)

なお、この作品が初公開されたのは、前年のSF大会「TOKON VIII」の時でした。


1983年6月:ホビーアニメック No.2

 (1983年6月:ラポート:ホビーアニメック No.2:表紙)

 

ファンロードの別冊で、アニメのプラモやフィギアの情報がメインです。

 (同誌:P73)

 

赤井孝美氏が描いたマンガが掲載されています。

「エースをねらえ!」のパロディになっています。

 (同誌:P133)

 

怪獣プラモのマニアとして井上誠氏が紹介されています。


1983年6月:ライブ・コミックin天神橋

大阪の天神橋筋商店街で、同人誌即売会が行われました。

イベント会場ではなく、商店街で同人誌即売会をするのは珍しいと思います。

 (1983年6月:ライブ・コミック・チーム:パンフレット:表紙)

 

 (同誌:もくじ)

 

下の写真は会場の様子です。商店街に沿って机が並べられています。

 

買い物に来た主婦や、パチンコ店に向かうオジサンも同人誌を見る事が出来ました。


1983年8月:第22回SF大会DAICON IV開催

1983年8月に大阪で行われたSF大会(SFファンの集い)が「DAICON IV」です。

この回も岡田斗司夫氏、武田康廣氏らが主催となって行われました。

また、オープニングアニメ「DAICON IVオープニングアニメ」も作られました。

 (1983年8月:DAICON IV オープニングアニメ:DAICON FILM)

 

「DAICON IIIの女の子」が成長して帰ってきました。しかもバニーガール!

 

右手がアルカディア号、左手が宇宙戦艦ヤマトという最強マクロスが登場。

この作品は、当時のアニメックに制作過程が連載されていました。

動き、作画レベル共にアマチュア8mm作品の最高峰です。

この「DAICON IV」も、各アニメ誌で紹介されたため有名になりました。

また吾妻ひでお先生のファンクラブが制作したオープニングアニメ「AZICON1」も上映されました。

 (1983年8月:AZICON1オープニングアニメ:しっぽがない&スタジオ・ラミ)

 

「打倒!DAICON!」をスローガンに掲げて制作されましたが、ほとんど話題になりませんでした。

下の写真は入場待ちで並んでいる参加者に、AZICONパンフレットを販売するAZICON宣伝ゲリラです。

 

(画像提供:名無し様)

底抜けDAICONゲームの様子。お互いをゴムヒモで結び、巨大な福笑いを完成させる。

 

(画像提供:名無し様)

宮内洋ショーの様子。

 

(画像提供:名無し様)

合宿が行われた旅館の風景。

 

(画像提供:名無し様)


1983年10月:ロリータ・シンドローム

初期のパソコン向けエロゲーです。FM-7やPC-8801など、多くの機種に移植されました。

 (1983年10月:エニックス:FM-7版パッケージ:表)

 

注目するのは、なんといっても子供向けの学習マンガを描いていた望月かつみ先生が、

このゲームを制作したという事でしょう。

ゲーム内容は、「メゾン・ロリータ」に捕らわれている少女を、ミニゲームをクリアする事によって

助け出すというものです。

しかし、ゲームでミスをすると少女が死んでしまうので、ちょっとショックが強いかも。

なお、エニックスの「ロリータ・シンドローム」以外にも、光栄から出ていた「マイ・ロリータ」も

望月かつみ先生によって制作されていました。

望月かつみ先生の作品については、ここのファンクラブのサイトが詳しいです。


1983年10月:アニメック 10月号

 (1983年10月:ラポート:アニメック10月号:表紙)

 

 (同誌:P113-114)

 

SF大会に行けなかったアニメファンのために、DAICON FILMの上映会が行われました。

自主制作アニメが、全国各地で上映されるのは異例の事だと思います。

当時からDAICON FILMが熱狂的な支持を得ていた事がうかがえます。

 (1983年10月:DAICON FILM:パンフレット:表紙)

 

これは上映会で配布されたパンフレットの表紙です。

うろ覚えですが、庵野ウルトラマンとジャージ姿のイダーゲ星人が空き地みたいな所で

ウルトラマンごっこをしているフィルムも上映されました。

もしかしてそれが初代庵野ウルトラマンだったノカー(;´Д`)?


1983年11月:宮崎駿イメージボード集

 (1983年11月:講談社:少年マガジン別冊宮崎駿イメージボード集:表紙)

 

 (同誌:P16:一部)

 

「もののけ姫」のストーリーボードの一部。

もののけに嫁入りしたお姫さまの話で、劇場版とは内容が全く異なります。

 (同誌:P69:一部)

 

「長靴下のピッピ」のイメージボードの一部です。

この作品はアニメ化の予定でしたが、原作者の許可が下りずに中止にまりました。

その代替として「パンダ・コパンダ」が制作されたそうです。


1983年12月:ファンロード 12月号

 (1983年12月:ラポート:ファンロード:表紙)

 

1983年10月にファンロードのファンが集って行われたイベントが「ゲボコン1」です。

 (同誌:P124:一部)

 

 (同誌:P15:一部)

 

このイベントのオープニングアニメをファンロード読者の有志が作りました。

 (同誌:P124:一部)

 

「ロード戦隊ゲゲボ5」によるアトラクションショー。

 (同誌:P124:一部)

 

桂正和先生本人の「ウィングマン」と、岡田斗司夫氏の「のうてんき2号」が登場。

 (同誌:P124:一部)

 

ファンとデュエットをする一本木蛮嬢の演歌ショー。


1984年


1984年9月:プチ・パンドラ 創刊

 (1984年9月:一水社:プチ・パンドラ:表紙)

 

蛭児神氏が編集を担当したロリコン雑誌「プチ・パンドラ」です。

「レモン・ピープル」の亜流雑誌に見えますが、美少女漫画よりグロ、フリークス傾向の

漫画が多いです。これは当時としては珍しかったと思います。

 (同誌:もくじ)

 


1984年10月:アニメック 10月号

 (1984年9月:ラポート:アニメック10月号:表紙)

 

 (同誌:P146)

 


1985年


1985年1月:「小公女セーラ」放映開始

 

ベッキーといえばチビッコ先生・・・じゃなくてチビッコメイドですよ。

ひどい仕打ちに耐えるベッキーが カワ(・∀・)イイ!!


1986年


1987年


1988年


1989年


1989年7月:「魔女の宅急便」劇場公開

夏休み期間中の公開でしたが、好評のため秋頃まで延長されました。


1989年8月:ゼネプロカタログ89-90

 (1989年8月:ゼネラルプロダクツカタログ表紙)

 

カタログの表紙のイラスト(セル画)を美樹本晴彦氏が担当しています。

美樹本氏の描いた「DAICON IVの女の子」や「ナウシカ」など、なかなか興味深いです。


1989年9月:アニメージュ 9月号

 (1989年9月:徳間書店:アニメージュ9月号:表紙)

 

アニメージュの表紙のイラスト(セル画)を近藤勝也氏が担当しています。

下図は宮崎監督が考えた幻のポスター案の記事です。

 (同誌:P30:一部)

 

宮崎ヒロインはトイレに行かないと言われたため、トイレに座っている図案を考えたそうです。

 (同誌:P30:一部)

 

(・∀・)ヤッテクレル! しかし、周囲の人に止められたためボツになったそうです。

その代わり、本編中にキキがトイレに行くシーンを挿入する事によって汚名を晴らしています。


1989年12月:おたくの本(別冊宝島104号)

 (1989年12月:JICC出版局:表紙)

 

米沢嘉博氏、中森明夫氏、藤田尚氏など、多数のライターが「おたく」についてのコラムを書いています。

特に注目するのは中森氏のコーナーで、「漫画ブリッコ」に掲載された「おたくの研究」のコラムが

再録されています。

ここで中森氏は、「ブリッコ」の連載が一方的に打ち切られ、弁明する機会が失われてしまった事や、

大塚氏の評論の中で、事あるごとに「おたく」が引用されているのを見ると、本当に「おたく」という

言葉を広めてしまったのは、大塚氏の方ではないか?と論じています。

それから、土本亜理子さんのコラムでは蛭児神建氏のインタビューがあり、ロリコン誌の編集長を

やめてお坊さんになった経緯が書かれています。


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